恋は五・七・五
最近俳句にハマりかけなのはこの映画を見たせいです。
松山の近くに住んでいるんですが、未だ、俳句甲子園も見ていませんし、それどころか子規記念館すら行った事ないという、郷土を愛さない人間ですが。
この映画見て反省しました。
クラスになじめない(日本になじまない)帰国子女、ポッチャリ系のチアガール部の女の子、(気持ち悪いというクレームでクビになります)ウクレレ命の女の子(帰国子女に憧れてしまいます)万年補欠の俳句好き夏の終わった野球少年(伊藤園のペットボトル俳句に入選したことありません)そして、煙草を吸う斜に構えた青年と少年の狭間にいる写真部の男の子(帰国子女に恋します)彼らが、明らかにいけてなさそうな、杉本哲太扮する高校教師と、俳句甲子園を目指します。そして、それぞれの恋の行方は?
青春映画ですが、彼らの優等生ではない少しズレている感じがとても文化部っぽくて、良かったです。そして、彼らの詠む俳句の清々しさと若さ。主人公が、同級生に「俳句はポップなんだ」と、やけくそで言うシーンがありますが、この映画を見ると、本当にポップな感じがします。みんな気軽に詠もうと言う感じです。
道後の去年の夏に写真に撮った神社や、松山城なんかが、出て来てローカルな楽しみ方も出来ました。結構良いとこ住んでんだななんて思ったりして。
春のポリス 彼らは優等生だったのか?
喘息は明日には治りそうです。
最近、レコからCDに買い直している、ザ・ポリスです。
中学生から高校生の頃、とても、ハマりました。
高校の受験シーズンで、精神的にいっぱいいっぱいだったのですが、(中学生の頃は優等生だったので、進学クラスに入らなくてはならないという親からの重圧)ザ・ポリスを聴くのが唯一の息抜きでした。ただ、親の目や監視をくぐっての、ヘッドホンで深夜彼らの音楽を聴いていたので、その時の辛さも思い出します。まだ、ビートルズを知らない、ニューロマンティックを抜け出さない、お子様趣味な、中学生の洋楽人生だったのですが、彼らの本格的で、ネイキッドで、そして、郷愁をさそうメロディは、とても魅惑的でした。
結局、好きな事が一切出来ないので、2月くらいから、勉強が嫌になり、勉強しているふりをして、音楽ばかり聴いていました。(最後の方になると、親たちって、何故か無関心になります)高校受験はほとんどぶっつけ本番になり、結果は、進学クラスに入れませんでした。
こちらにも罪悪感はあるので、親達の涙を流して、責める姿は辛かったです。
それからの転落人生は、色々書いたので省きますが。
ザ・ポリスは優等生では無く、頭の良い尖った不良と言う感じがします。
メンバーそれぞれの演奏のディテールのスゴさは、レゲエが下敷きになっているとはいえ、歴史的ですらあります。
アンディ・サマーズの跳ねるリズムギター、スティングの、グイグイベースとロックンロールな甲高い声、そして、唄う完璧なバランスを持ったドラマー、ステュアート・コープランド。(こんな気持ちの良い、スネアと、ハイハットの音は聴いた事無かった)
また俳句です。メランコリックな気持ちを歌って、
春暮れる
我が偽りと
親の涙
ベタ洋楽 バディ・ホリー
だいぶ、風邪 喘息も良くなりました。
夜寝れないくらい、咳が出ていたのですが、一回くらい、咳き込んで起きるくらいで、済むようになりました。風邪は、油断した時に入ってきます。色々と生活や、仕事のやり方に反省点があったのかなと思います。
今日の、ベタ洋楽は、バディ・ホリー
ほとんど説明する必要もありませんが、飛行機事故で若くして亡くなった、ロックンロールヒーローでした。彼のロックンロールは、ビートルズや、コステロや、クラッシュやパンクにも影響を与えてきました。
僕にとっては、ニック・ロウやコステロのおかげで、この人が一番、ロカビリーの中で身近に感じていました。ブリンズリー・シャウオーツのバディ・ホリーのカバーも秀逸です。
彼らの、カントリー的な部分はバディ・ホリーから由来するものなのかもしれません。
メロディは甘く、リズムは軽く、派手な演出は(ロックンロール的な歌い回し)少なめでとても、ポップ。言うなれば、いつまでも溶けないキャンディのよう。
ベタついでですが。最近ハマりかけな俳句を作ってみました。(学生の頃以外だと、人生初かも)
春風に
バディ ホリーの
三連符
お粗末で恥ずかしい。
けど、バディ・ホリーの Tha't ll Be The Day の三連符はとても、軽やかで、気持ちの良い感じがします。春風に合います。そんな感じを書いてみました。
ストレンジデイズ ドアーズのまぼろしの世界
まだ、喘息中。苦しさは、痛みを越えて、快楽へと変りそうです。
こんな時聴きたくなるのが、ベタな洋楽ですが、ドアーズのセカンド、ジム・モリソンの喉を振り絞った叫びが、僕の喉に力と勇気とそして、厭世観と哲学を与えてくれます。
ジムモリソンのまぼろしの世界は、本能の壊れてしまった人間世界に蔓延する、道徳や理性を越えようとした結果生みだされた、彼の中でしか存在し得ないユートピア。
ユニコーンやドラゴンのいる世界。そして無法な王やそれに付き従うならず者達、野望のある者と勇気ある者達の戦いと死。
「世界の再生を願っている。」と歌われ、そして音楽が終わったとき。
ジム・モリソンの想像したまぼろしの世界と、僕たちの想像する卑小な世界は、あまりにかけ離れていて、寂しくなる。
音楽が終わったら、明かりを消して。
演出されたジャケの写真は素晴らしすぎて、出来過ぎ。
他のカットが見たくなるという、欲求が抑えられません。
海に行って遊んで来ました。ストロベリー アラーム クロック
今日は、本当に暖かかったというか、暑かったくらいで、
半袖になろうかと本気で思った程でした。
町行く人々は上着の無い人がほとんどという小春日和というより
真夏日みたいでした。
まだ、喘息中なのですが、プライベートでは日光あんまり浴びていなかったので
日光浴でもと思って、海に行きました。海で、春の柔らかい光を浴びながら、子供達が
波に興じたり、小さな貝を拾ったりしているのを眺めながら、それを写真に撮ったりして楽しかったという、
もの凄く、ありきたりな過ごし方でしたが、小さな幸福の瞬間というのは、写真にすると鮮明だったりして、逆にこういう経験の方が死ぬ時にフラッシュバックする、光景の中に入るのかしらんとか思って、シャッターを押していました。
そんな、脱力系な、一日にピッタリな、ソフトロックの一枚。
ジャケが海を連想したので、選びました。(ジャケ決していけてないけど)
ストロベリー アラーム クロック 僕的にはガレージには決して区分されない
とても、フラワーなサウンドが、くらくらきます。コーラスは予定調和的に流れ、B級クラシックのアレンジが偽物ビートルズ的流れを否応無しに感じさせます。刺々しくないファズサウンド、レンジの低い録音。
うーんどれをとっても、ソフトロックのエッセンスたっぷり。(好事家には、これらが全て褒め言葉に変ります)買ってから聴くのが2回目にしては、ほめ過ぎなレビュー。次に聴くのは、何時の事でしょう。
牛心隊長のいたこブルース。
26日頃から風邪をひいていました。
水曜に一日休んで静養したのですが、木曜の夜から咳が止まらなくなり、
恐れていた、喘息の発作が軽く出てしまいました。
人間って、微熱が長く続くとしんどいのですが、37.1℃の微熱が出てそんな状態が長く続いています。
まあ、とはいっても、少し動くとしんどかったり、普通に出来る事が、時間が
かかったりするだけで、咳さえ出なければ、頭は正常に働くし、パソコンの前で
こうやってブログ更新することも出来ますので、御心配なく。
こんな、しんどい時に聴きたくなるのが、サイケ(それ、何時もだろ!!)なんですが、
飲んだ喘息薬の気管拡張させるための普通の風邪薬の量ではない覚せい剤エフェドリン(法律ギリギリ○○mg)や合法ドラックの王者咳止め薬コデインの大量摂取のせいでこういう音楽を聴きたくなった可能性も否定出来ない、春の夜中だったりして。はははははは。
冗談は、さておいて。
最近、砂漠のブルースと呼ばれるものが注目されているようですが、アフリカの複合リズムが、牛心隊長のブルースのようにポリリズムになっていて、なんともいえない迫力になっているよう。
でも、この、牛心隊長のブルースは、砂漠というより恐山のブルースのようです。ボーカルを、ファズで歪ませ、いたこの口寄せのように、常人にはわからない「ニウミ、ニウミ、ニュン、ウィン、ヨン、ヨン、ヨン、ワヨ〜ン、」というような言語を発します。
そして、Shineiという、正体の良くわからない、エフェクターの音が死霊(しれい)のように響きます。音楽的にはオーソドックスなブルースなんだけど、このアルバムは不気味で怖い。
風邪をひいた時や、疲れた時に金縛りに会うジンクスがあるので、何も出なければと願う、夜半の春です。