耳こそはすべて ジョージ・マーティン

耳こそはすべて―ビートルズ・サウンドを創った男
ジョージ マーティン George Martin 吉成 伸幸 一色 真由美
河出書房新社 (1992/12)

 昔々の話になりますが、イギリスのリバプールビートルズという、無名なバンドがいて、レコード会社へのオーディションはことごとく断られ、殆ど最後というところで、ビートルズのマネージャー ブライアン・エプスタインが、パーロフォンのプロデューサー、ジョージ・マーティンに最後の望みをかけました、なんと彼らビートルズはデッカのオーディションを2度も落ちているそう、「でも、なんで彼らが落ちるのかわかったような気がした、親切に言えば、全くノックアウトされる音ではなかった」と書いています。それでも、レコーディングに踏み切ったのは、彼らに何か、人を引きつけるものがあると信じたからで、それは間違っていなかったのです。
 この本の中で、多くのページが、サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド
サージェントペパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンドに割かれています。ビートルズの最高傑作として、長い間、メディアで君臨していたアルバムですが、実は、本当は明確なコンセプトアルバムではなく、結構寄せ集め的で沢山のサイケデリックな意味は、後で付け加えられたものなんだなというのがわかります、結構名曲だと思っていて、このストリングアレンジは、ジョージ・マーティンのものなんだなと思っていた、 シーズ・リーヴィング・ホームは、ポールが「すぐに作って」という要求を満たさなかったから、別の人になったとか、ファンなら誰でも知っている、ミスター・カイトのテープバラバラミックスの話は、ジョンが「なんとかしてくれよ」と、ジョージ・マーティンに投げたものだったり、ア・デイ・イン・ザ・ライフは、まさにジョージ・マーティンがいなければ作り得なかった曲で、オーケストラや、クラシックの楽器を使ってサウンドを構築し、向かうところ敵無しといった感じだし、多くのクラシックの音楽家に「素晴らしい」と言わしめたのも、実はジョージ・マーティンのオーバーワークのおかげというのがよくわかります。よく、クラシックのお歴々が「ビートルズもクラシックの影響を受けていた」としたり顔で言ったりしてるのを見てきましたが、「プロデューサー、ジョージ・マーティンは、クラシックのプロデューサーだったからだ」という方が、しっくり来ます。
 解散後ポール以外の他のメンバーが彼と積極的に組む事はなかったし、ジョージなんかは、完全にフィルスペクターのサウンドの方の影響が強いですし、ジョンは、二度とと言っても良いでしょうが、万華鏡のような音を作る事はありませんでした。そういう意味で、とても貴重な資料で、面白く読みました。
 でも、逆にジョージ・マーティンサウンドというのを意識し過ぎて、中期ビートルズが聴きづらくなりそうで怖いのです。
でも、個人的に一番好きな、アビーロードとかホワイトアルバムならこの本読みながらでも聴けそう。

アビイ・ロード

ザ・ビートルズ