ニューヨークロック 3 パティ・スミス

 もう、ベルベット・アンダーグラウンドと、ソニック・ユースとテレビジョンと来たら、意地でも、このアルバムについて、語ってやるという勢いで書き始めましたが、実はこの人については、何も書く事は無いのです。何故かというと、ある詩人曰く、「詩について語るのは危険だもう地に落ちてしまっている」という状態にすぐ陥ってしまうからです。でも、彼女のカリスマな詩人としての姿だけではない、このアルバムの魅力も感じています。インテリギタリスト、レニー・ケイ(あのガレージロックの金字塔ナゲッツの編集者)のギターは、まるで、20年以上も先に、予見したかのような、ノイジーなギターを奏で、プロデューサーのジョン・ケイルのミニマルさが、彼女の歌詞との相乗効果を作っています。ニコのような深遠さは無いものの、現実と非現実を入り混ぜて語る姿が、一個の現存する修羅としての存在を、僕たちに教えてくれます。そういう、難しさが、U2のボノに「恋人」と言わしめたり、また、ロンドンパンクの連中に嫌われたりしたのでしょう。
ホーセス

バードランド 
         パティ・スミス

父親が死んで、息子に残したのはニューイングランドのちっぽけな農場、葬式の黒い車の列が見えなくなるまでひとりぼっちで立ちすくんでいた少年。

赤くぴかぴかに輝いていたトラクターと彼、そして死んだ父親・・・・中に座って青い野原を囲み、そして夜をギラギラさせ、まるで星のとがった部分にバターを塗り付けたみたいに、すべるのがわかる。そして曲げた腕の間に頭を置いて、流れに身をまかせ、黒い船に乗って深い混乱に落ちていった。彼の父の心配事が彼にはわかった。彼の父が隠していた心配事は彼の気持ちを暗くした・・・・・・

少年の顔が喜びに輝いた------太陽の強い日差しが彼のまぶたに触れた時、彼のまぶたにこびりついた2つの太陽・・・・・・・なにもかもはっきり見えすぎる。振り返ると、黒い船はない。葬式の黒い車も何もない・・・・・あるのは彼の姿だけ・・・・ひざまついて見上げ叫んだ・・・・・パパお願いだから僕をここにおいていかないで・・・・

小鳥しかいない、ニューイングランドの農場。そこら中からやって来るその様子は、まぶしい花束のように・・・・鼻を切り裂かれ、ほっぺたをつままれ、首を抜かれ、手足をばらばらにされて・・・・・すべてが逆転したその時に、彼はあきらめなかった、彼は言った“負けるものか” “降参などするものか”

“船に入ろう、人間でなくなる船の中に・・・・主役は僕なのさ”-------彼は空を広げ、マンガのように無限の広がりを創り大声を上げた。この世代、私たちは夜も昼もなく理想の国を夢見ている。変わりはしないけれど・・・・・・。あきらめはしない。やってくる、これまで聞こえなかったものがやってくるのがわかる。レーダーの嵐、プラチナの光・・・・・・黒船のように近づいてくる。いくつもいくつも・・・・・・・

彼は両手を上げて言った。“僕だよ、僕の眼をあげるから、味方になってくれ。神様お願いです、味方になって下さい。僕は回復に向かっているんです。待っているんです。お願いです、ここに置いていかないで・・・・・太陽、そして耐え忍ぶ女の姿・・・・・入り口に立ち、子供達をかばう女達の姿・・・・大統領なんかでなくただの人形になった連中--------彼らは予言者の到来を夢見ている。予言者は野を駆け巡り、黒い花束のように輝き、モハメッドのボクサーのように、強くたくましいこぶしの輝きを放つ。神よ味方にひきいれて進み給う。僕は進む。僕を助けて・・・・・・・”

船の中に入る。そこでは人間性が失われ。砂とタイルと、砂にまみれた太陽が、ガラスの川のように凝固している。固くなって、彼は表面に映し出された自分の顔を見る。そこには、2つの白い楕円が残された眼がある。見上げると、カラスのやってくるのが見え、仰向けのまま這い回る・・・・・どんどん高く・・・・みんな鳥の国が好き。