同じ事がベトナムでも行われていた。 ベトナムから遠く離れて

 新コーナーです。見たDVDのレヴューを載せようと思います。
 今日は、昨日見たフランスのドキュメンタリー映画です。アラン・レネ ジャン・リュック・ゴダールなど、錚々たる面々が、ベトナムについて、そして、アメリカについて撮っています。それは、淡々としているようでもあり、熱を帯びた調子で語っている様にも思えます。当然ながらフランスの60sの匂いが感じられる、記録映画としての傑作だと思うのですが、見ていて愕然としたのは、アメリカの戦争が、ベトナムの頃も今のイラク戦争でも、何も変わっていなかった事。利用しておきながら、見事に裏切り、そしてCIAを使っての暗殺、その上、無垢の民衆の上から落とす爆弾の膨大な量。アメリカが行う国家の名の下では虐殺が正当されているのに、ゲリラは、あくまでテロ組織、ベトコンは殺してもかまわなく、匿うものは全てスパイ。立ち上がって武装して戦うしかなかったと語るカストロは、ベトナムはどこにでもある、搾取する側と、搾取される側、我々は、望む望まないにかかわらず武器を手にしなければならなかった。ゴダールは、「ベトナムに行く事は出来なかった、だからフランスで撮るしかない」とベトナムから遠く離れて記録する事の意味を見つけようとしています。
 今アメリカの戦争は、泥沼化している事は、誰もが知っています。それは、ほぼ40年前のベトナム戦争の1967年の様相と何が異なっているのでしょうか?僕には、その答えは出せません。ただ、メディアで見る事の出来る戦争と言う意味では、ベトナム戦争もそうであり、北ベトナムの指導者達が、まるでブッシュのように、「これは新しい戦争だ。」と語るのを見て、我々の知っている今の戦争が実は新しくもなく、そして決して解決にならない事を感じるのです。でも、北ベトナムの指導者はその後に語ります「我々はゲリラ闘争を行う、そして決して屈しない」確かに、その後の共産主義政権の行った、抑圧は忌むべきものでした。けれども、それを誘発し民衆を虐殺しただけの国の所業を問う事はあるのでしょうか?誰もが戦争について無関係ではないと言う事を、この映画は訴えかけています。

ベトナムから遠く離れて
ハピネット・ピクチャーズ (1998/06/25)
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