日曜日の日だまり ハービー山口

 写真家のエッセイを読むのが好きです。でも、1年くらい前からの最近の話です。最初は、森山大道の「犬の記憶」でした。とても文学的ですが、想像する小説家には無い風景や目ざしに対する確かさに、舌を巻いたと言って良いでしょうか、そんな感じを持ったのを覚えています。それから荒木経惟や、図書館で植田正治細江英公の本を読みました。そしてカメラに興味を持ち、エイ文庫のカメラに関する本を買いあさりました。その中の藤田一咲さんや渡部さとるさんの本は、素晴らしく、もしかしたら人生を変えたかもしれません。死にたくもなければ、生きたくもないのに、なにか希求する様な、切ない感情が最近の僕には渦巻いていて、それが写真という行為に繋がるのではないかと思っています。

日曜日の陽だまり

 今日は、雨の後のとても気持ちの良い夕方で、毎週のNHK世界の快適音楽セレクションを聴きながら、ハービー・山口さんの本を読んでいました。あまりに気持ちよいのか子供達はソファーの上で寝ています。それでラジオを聴きながら最後迄読んでしまいました。
 彼の写真は、とても素敵でファッショナブルなものですが、そのような写真にありがちな、先鋭的ないわゆるファション写真と違った、人への視線というものが好きです。うまく表現出来ませんが、決して土足でずかずかと立ち入らない、親切さと距離が彼の写真にはあって、ドキュメンタリー写真とは違う匂いを感じていました。写真に興味を持つ前は、全く興味の対象にしていなかった写真家でしたが、(とんがっているものがとりあえず好きだったから?)いまでは、とても好きな写真家です。
 それだけではなく彼の人生の遍歴は、とてもつらい小学生の時期から始まり、認めてもらえないともがきながら、それでも好きな写真を続けていったと書いています。先生にいじめられ、同級生にも理解されないつらい時期、中学でブラスバンドに入ったのに、体の不調のせいで、退部しコンプレックスを持った日々、なんだか、僕の人生にも似ています。そして写真に出会い、大学からロンドンに単身で渡英し、ツトムヤマシタの劇団に入った話や、パンクロックやニューウェーブの頃のロンドンで、細々と写真を撮っていたことを読むと、何故彼が優しさを持った写真を撮り、素敵な一瞬を印画紙に定着させる事が出来るのか、わかります。僕も収奪の道具ではなく、カメラは本質的な優しさを引き出すものだという写真を撮りたいと思います。