アニー・ホール ウッディ・アレンの映画

 世の中は、悲恋の映画のはずの、スターウォーズ「エピソード3」に沸いていますが、この週末混んでいるのがわかっているで、僕のような人ごみが苦手な人が行く訳が無い。でも、子供と「何時か見に行こうね」と毎日言いあっています。

アニーホール

 そんな世の中に背を向けているのかどうかわかりませんが、今日の夜中にウッディ・アレンの「アニー・ホール」を見ました。10代のころ一度見た気がしますが、なんか大人の話がわからない印象で終わってしまっていて、バブルの頃にいわゆる、ラルフローレンの服が沢山出て来る映画として紹介されていたので、少しだけ、左翼向きな思考をしがちな僕は「なんか金持ち的?」と思っていて、積極的に見ようとは思わなかった映画でした。でも、大人になってウッディ・アレンの「カイロの紫のバラ」を見て、ノスタルジックな手法が、「ノスタルジックだろうが、なんだろうが、こういうものが映画なんだよ」と語りかけられたような気がして映画をみると言う事に意識的にならざるを得ない彼のさらり映画センスにまいりました。コステロなら「こういうものがロックなんだよ」といっているみたい。(それが、エディコクランやジーン・ビンセントの焼き直しだとしても、そんなことは関係ないんだ。)
 純愛からはほど遠く、気分とセックスと死に取り付かれた男アルヴィー(ウッディ・アレン)が、アニー・ホールと出会い別れる迄という、タランティーノ的に時間軸はずらしながら、展開していきます。ニューヨークから離れられない男、(まるで、アル・クーパーのよう)しかし、ダメ男だなこの人、死に取り付かれているというより、過去にしがみついている。ユダヤ人の受難の戦争映画をみたりして。でも。そんな自分を揶揄しているウッディアレンがユーモアたっぷりに登場人物すべてを茶化します。アニーホールの兄をクリストファー・ウォーケンが演じますが、「ディアハンター」の演技のままで登場し、「芸術家の君ならわかるけど対向車線の車に突っ込みたくなるんだ」とか言ったり(そうとう笑える)、ばかなインテリがうるさいので、メディア理論のマクハーレン本人が登場します。ゴダールの「男と女のいる舗道」に哲学者が出てきたように。でも全くマクハーレンに敬意ははらっていません。まるで、意地悪な剽窃のように。また、ポール・サイモンがとても気持ちの悪いミュージシャンとして出てきます。意地悪な見方だけど、「僕はダスティン・ホフマンみたいな、背の低い俳優や、アメリカン・ニューシネマなんか大嫌いなんだ」という意味で自分より背の低い、「卒業」の主題歌を唄った彼を出演させたとしか思えません。すごい悪意が感じられますが、そんなポールサイモンと比較して、あまりに冴えていない、ウッディ・アレンがおかしい。
 そんなこんなで、結局アニーホールと別れますが、結局昔を懐かしんで「アニー・ホールと付き合っていた頃は良かった。」と思います。10代の頃、この映画を見て「大人って可笑しい」と思ったことを思い出しましたが、何故かそんなウッディ・アレンの可笑しさの仲間入りになっている自分に気付いたりして。「はためから見るとおとなはおかしい」