「ぐれーつ」が聴こえる。無辜の市民の死

 時事ネタは決して書かないと、思っていたのですが、戦後60年の悲しみを想っています。NHK靖国神社の首相参拝について、番組がありました。結局少し見ただけで、地の底から「ぐれーつ」と死者の声が聞こえる様な気がして、消してしまいました。本当はこんな事は言いたくないのだけど、「どちらの側にいても、同じ事をくり返すばかりで、誰も彼も言いたい事だけ言っている。進展は無い事に気付いているのに、どちらも、何かを変えようとする力は無く、結局、教科書問題や教育とお題目を並べるみたいに、また繰り返し、それに拍手する。」
 左の人は、本当の事を云おうとしない「自分が前衛になりたい為に、見た事はないけど、アジアの人々が虐げられた事にして、自分が目立つ事だけ考えたい。首相の靖国参拝は反対する(ジャスチャー)をする。そうしなきゃいけないもの」靖国神社があまりに沢山の死を受け入れ、神社にそんな機能も無いのに、霊をたらふく食って、ゲップを出しているのを見ても、何も出来ない。「英霊の受け入れ先は、どうするのですか」と言うと、きっと死者に対してアウシュビッツと同じような事しか出来ない。
 右の人は知っている事だけ話す「日本は正しい事をしてきた。アジアを解放したのは、日本なのに、アジアの国々の日本内政干渉も甚だしい言説だけは許せない。教育が悪い。マスコミが悪い。インテリの戦後民主主義者がこの国をダメにしたのだ」と言います。けど、戦後最高のインテリで理想的かたちの、リベラルな、戦後民主主義者は誰でしょう?なんと、あの一家なんですね。そこで提言なんですが、1000年も昔に戻って、その頃みたいに、クーデターを起こして、今鎮座ましましている人を殺して、あなた方の言う「公と私」を一番勘違いしてる、揺らぎの王子(妻の揺らぎが全部でちゃう。)を、王にして、昔の蘇我氏藤原氏のように自分のやりたいように出来ないの?あんたがたの言ってる事にはリアリティが無いよ。と思ってしまいました。
 なんで、皆気付かないのだろう。首相の靖国参拝よりも、本当に議論しなくてはならない大切な問題があるのに。
 最後に一つだけ、今日の朝、新聞を読んで止まった。「8月10日ポツダム宣言を受け入れてから、(国体の護持というある制度を維持する為に政府や側近は交渉を引き延ばした)そして15日あの放送があった。その5日間の間に死んだ人間は何万人。14日にも東京で空襲があり、満員電車が襲われ、子供達や無辜の市民が殺された。その間政府は、ただ一つの事に奔走していた。「国体の維持」という日本にとって一番大切なものの為だけに。」
 死者が語りかける。もう一度、僕等は聴かなければならない。アジアや外国ではなく、今自分が住んで立っている地面から聴こえて来る声を
「ぐれーつ」「ぐれーつ」「ぐれーつ」「ぐれつ」「愚劣」愚劣........