鹿児島

 先週は水曜から、金曜まで鹿児島迄研修旅行でした。
しかも、四国から何と大型バスで行きました。遠いぞ鹿児島。
しまいには、バスに座っているだけで疲れました。ほとんど移動時間だったので、見たものや、観光地の事書く事が出来ないのが悲しいのですが、船中で一泊と、指宿温泉で一泊しました。砂風呂で有名な指宿温泉、なんと、僕の親が、新婚旅行で行った事があるそうです。指宿は南国と言う感じで、高知や足摺と感じが良く似ています。残念ながら、宴会に間に合わなくなるので、砂風呂には入れませんでしたが、見ただけで気分は味わいました。


 僕は、いわゆる、沢山の男性が一度はハマってみたりするという日本の歴史というものにほとんど興味がなくて、(織田信長とかが、レコードでも作って、唄歌って録音してくれたら興味もったかもしんない、なわけないか)小学の頃、50冊連続で伝記を読んだので、それ以上の知識がなかったりして。時々テレビとかで、その人物の評価が大きく変っていたり、新事実とかに驚いたりするのですが、特にそのままにしています。
 でも、坂本龍馬が好きだったりするので、幕末の頃の事は、何故か大人になってからも読んだり、西郷隆盛や、木戸孝允大久保利通高杉晋作や、武市瑞山(半平太)くらいのまだ歴史的に近いひとの事なら、想像したり、シンパシーを感じたりする事が出来ます。まあ、簡単に言うと彼らは下級武士であった訳ですから、階級闘争によって権力を勝ち得たという、一種の革命であった訳です。そういう、評価も出来ると思います。薩長土佐の殿様はたった10数年の間に彼らに乗り越えられてしまいました。それまでは、そんなこと絶対にあり得ませんでした。でも、結果的には政権は完全に民主的にはならず、残念ながら立憲君主になってしまいましたが、尊王攘夷というのは、日本初のイデオロギーだったと思うのです。



まあそんなこと僕が解説しないでも皆知ってる事なので、どうでも良いのですが、西郷隆盛の生まれた国、鹿児島で、色々と歴史のゆかりある場所に行きたかったのですが、無理でした。旅行会社のバカ。
 なので、西郷隆盛の大好物だった、さつま揚げの事を書くだけにします。お土産で買ったさつま揚げ、写真にくらい撮れば良かったのですが、あまりに美味いので、もう何一つ残っていません。すぐに食べてしまいました。
 漫画ですが小山ゆうの「おーい龍馬」の中でも、鹿児島に来た龍馬が「たまるか」(こじゃんとうまいぜよという土佐弁の一種か?)と言いながらさつま揚げ食べるシーンがありますが、本当に食べたかどうかは別にして。
 実は、四国にも、じゃこ天という郷土料理があって、それも似た様に青魚をすり身にしたものをでんぷんで練って揚げるのですが、さつま揚げは、鯛のすり身です。そして高級自然薯。美味しくない訳がありません。中身も自在で、芋を切ったもの、レンコン、イカ、エビ何でもOKです。じゃこ天にはこの自由度はありません。
 うーん今度自分で作ってみて、カフェメニューになるかどうか研究です。




 それと、知覧特攻基地にも行きました。実はこういう所苦手です。可哀相というより、死が何百何千とそこにあるのです。霊がついた様にどっと疲れてしまいます。17才から32才の若者が、笑いながら、死地に行きました。自殺の為の訓練を3年受け幼いものは14才の時から受けるのです。「死ね、そして敵も沢山殺せ」と教えるのです。


なんと、むごい。そして安易さからくる発想。きわめて愚劣です。


 ニュースも権力者も大義名分として簡単に人道、人道と言いますが、戦争当事者どちらにも人道を守ったり、人道的見地から、戦争をするというおかしな論理は一切成立しえません。戦争になれば、戦局でいかようにも人権は踏み潰されるのです。特攻の発明者、そして最終的命令者は、その戦争責任を償わなくてはなりません。地獄で、業火に焼かれよ。
と、思います。

暗く、なってしまいましが。もう一度ゆっくり行ってみたいなと思える鹿児島の旅でした。