6月30日にいつかブログで書くかもとこんな事を書いていました。引用してみます。

時事ネタでしたり顔するのが、嫌なので。結局ブログには載せませんでしたが、今日、ニュースで、畠山容疑者がやっぱりというか、結局こうなったのかという気持ちになりました。
 プロファイリングが得意と言う訳ではありませんが、大昔になってしまいましたが14才の少年が起こした事件も、すぐに犯人像が浮かびました。何となくわかるんです。犯人の気持ちが。その時は、小学生の子供をここ迄非人間的に殺す事が出来るのは、若年者じゃなければあり得ないと言う事が、すっとわかったのです。ただ14才の少年だということはわかりませんでした。
 でも、全然嬉しくありません。
 だって、そんな暗黒な気持ちが、誰にでもあるということを否応無く知らなければならなくなるからです。




6月30日に書いた事。

すこし冷めた気分なので、こんな話題。
「代理によるミュンヒハウゼン病」という症例がある。
田口ランディの本の中で読んだ。
1985年にデンマークで母親が、女の子供の点滴に花瓶の中の水を混入させていたという事件だ。
 もちろん、花瓶の中の水は不潔である。少女は、健康なのに病院を代わる代わる変えて度重なる検査を受けさされ、病気であると、母親に信じ込まされていた。異常がないという医師の言葉を聞くと次の病院へ、また、異常が認められないと言われると次の病院へ、
少女の男の兄弟も不審な死をとげており、虐待死である確率は50%であると報道された。何故、母親がそんな事をしたのか、理由はただ一つ病院関係者と親密になること、そして、「難病を抱えた母親」を演じたいと考えている事だけである。
「そんな、理由で、なんてむごい事を」と思うかしれないが、僕たちも 何か目的を持って人と交わったり、子供と遊んでも良いのにブログなんか書いている。「注目されたい」と思う事は、自然なことであり、人間の欲望と密接である。アンディ・ウォーホールが「人は、5分間だけ有名になる事が出来る」という有名な言葉がある。表現の方法に形はないのだと言う事を言いたかったのだとは思うのだが、こんな事件にもあたはまらないことはないのだと思う。
 そして、あの容疑者の事件にも「代理によるミュンヒハウゼン病」を感じる。
 代理によってつまり、娘が事故でいなくなり可哀相な母親を演じる。それで、社会と繋がっていると感じる、しかし、警察または共同体は自分が思っていた程自分を相手にしてくれない。それならと、あまりに陰惨だが、殺人がばれてもかまわないと娘と仲の良かった子供に手をかける。こんどは、娘がいなくなった母親が寂しさのあまりオーバラーップさせてしまい、子供をころしてしまうはめになった可哀相な私というのを演じたのではないか。つまり、娘とオーバーラップしたというのは、彼女の最初から考えていた筋書きでしかない。

 多分、警察もわかっているのだろうが(いつも通り真実と違ったコメントしか出てこないことも、その証拠)娘の死の解明をしなければ、多分この事件はわからない。

彼女の犯した犯罪は許されるものではありません。けれど、単純な人達がコメントするように、異常者の犯罪として簡単に片付けることも、僕にはできません。こんな、真っ黒な気持ちが誰にでもあると言う事を忘れてはならないのです。