戦争と記憶 硫黄島

[雑記]硫黄島玉砕
 一日遅れですが、テレビで、硫黄島の戦闘の事をテレビで放送していました。
 硫黄島においては、本土決戦に備え死守しなければならない拠点として、戦争末期2万人に及ぶ兵力をにわかに投入し、戦況が悪いと分ると、玉砕を前提に大本営から見捨てられ、1000人程度の生還者しか残さず、全滅したという戦闘です。戦闘員とは名ばかりの、多くの若者や体力に問題のあった、壮年・青年が多くかり出されました。

 米軍は5日で、陥落できると踏んでいたのですが、日本軍の猛攻に喘ぎ、米軍側に2万人という大量の戦死者を出した1ヶ月に及ぶ戦闘になったのです。その攻防は英雄行為とたたえられ、勝利の時、星条旗を揚げる兵士達は銅像にもなり、その栄誉を今でも讃え海兵隊では毎年式典を行っています。
 翻って日本では、その苛烈さゆえ、硫黄島の事はあまり多くを語られてきませんでした。
 
 米軍の攻撃に備え、地下壕を手堀で堀り、その長さは10数キロに及びました。それは、爆撃による焦土になる事。最初からゲリラ戦を取る事が明らかでした。司令部の、命令は「一人十殺」1人が10人殺せば、10万の米軍でも勝てるという、戦国時代のどんな、バカな武将でも行わない馬鹿げた理論で戦闘の士気を高めました。これが、陸軍の名将と讃えられたと言われる中将の苦し紛れの戦法です。

米軍の天地がひっくり返るような爆撃が終わり、本当の戦闘が始まります。 
戦闘においては地下壕からの攻撃が主で、撃っては逃げ、攻撃しては引くという戦法で多くの米軍兵士を混乱に陥れました。その作戦は成功し、多くの米軍を殺傷したのです。
が、米軍は多量の兵器を投入、爆弾、そして手榴弾火炎放射器を投入、特に火炎放射器は威力を発揮し、穴の近くにいた日本兵を焼きはらいました。

 日本軍は、次第に退却し、孤立し「捕虜になるな。自決もダメだ」という逃げ場のない司令部の命令に背けず、昼も夜も分らない暗い壕の中で、ただ、ひたすら耐えたのです。
 ですが、火山島である、硫黄島の地下は40度にもなる暑さで、長期戦で食料や水も無く、多くの兵士が死にました。

 次第に、人間性は失われ、誰かが死んだら、何か持っていないかと漁り、追いつめられた壕の中に、沢山の兵士が詰め込まれると、上官が、絶対に奪還できない場所の攻撃を命じられ、突撃する。それは、救い様のないゲリラ戦です。出ようとしない小隊がいると後ろから押し出してでも、戦闘に出させようとする。それは、勇敢な戦闘というものでも何でもなく、単なる人減らしにしか過ぎません。
出たら出たで、昼間に攻撃すれば狙い撃ちにあうので、昼間は、鰹節を口にくわえて、3体の日本兵か米兵か分らない様な死体の中に隠れる。夜が来たら攻撃する。あるいは、戦車が来たときに手榴弾で攻撃する。時には、戦車に死体ごと轢かれ、断末魔を叫びながら死んで行ったものもいます。壕から出て銃を捨て投降しようとする兵士は、後ろから容赦なく上官に撃たれ殺されました。


そして、最後の攻撃の時には、米軍は海水を壕に投入しました。その海水にはガソリンが混じっています。ガソリンの海になった壕の中に手榴弾を投げ入れ火の海にし、多くの日本兵が犠牲になりました。顔の頬がヤケ両方ともぶら下がっています。自決を許されない兵士は「どうか殺してくれと」さけび、戦友の手によって死にました。


 生き残った人達の殆どは、生き埋めになっていて非戦闘員同様になったもの、気を失い水の上に浮いていたもの、突撃しようとして、足を米兵に撃たれた者など、禁止されていた為に降伏した者はごくわずかです。司令部は、組織を放棄し、勝手に玉砕しました。これを勇敢と言う人もいるかも知れませんが、ただただ、残った兵士の命等どうでも良いという身勝手な、無責任でしかありません。

このような、むごい事は、もしかしたら、語らずにそっとしたほうが良いのかもしれません。そして、告白する事は、自分の人間としての罪を告白する事、そして、多くの戦友や上官の罪を告白する事になります。戦後すぐに語る事など出来ない事は容易に想像出来ます。我々は簡単に「戦争の遺族の高齢化。薄れていく記憶」と書かれている報道に騙されてしまいますが、未だ語られていない戦争、そして記憶は沢山あるのです。
生還者は「昨日や最近のことは、忘れるのに戦争のことはくっきりと覚えている」
と語ります。ある意味 PTSDだと思うのですが、硫黄島の事を語りながら、泣きながら語っています。
 戦争を、今の時代の礎として語る事は、ある意味正しいと思います。ですが、このような、人間性や考える事そして、生きるという意味も奪ってしまうような戦闘に参加した人達の声は、「何で自分は生きているのだろう、戦友達の死は何だったのだろう。」という、重い疑問を抱えて生きている者の声です。「彼らは、日本の為に英霊となった」と言えないのです。
何故なら、人間では無い様な物として死に、日本という国家に捨てられ、ただ無惨に敵味方関係なく殺されたのです。名誉のある戦死ではありません。地獄に落ちた者が鬼に無惨に焼かれ、針山に刺され、そして、餓えと渇きをいつまでも訴える。まさに地獄絵巻と同じだからです。
 
 戦友の為に、毎朝、水を捧げる生存者が言っていました。「みんなが死ぬ前に一番欲しがっていたものを、こうして毎朝あげるのです」その、小さな湯のみには、必ず氷が入っています、熱さと乾きの中で死んで行った者達への供養です。氷まで入れるという事に、なんとも言えないやるせなさを感じます。

もう1人の生存者はこう語ります。「ゲリラ戦では、死体の中に隠れて戦えと命令されるわけです。死んでも、こうやって戦争をしなければならないのか?いつまでも戦争をしなければならないのかと思いました。我々の戦いは何だったのか、そして戦友達の死は何だったのか?」


 硫黄島は現在は、自衛隊の管理下に置かれ、民間人の立ち居入りが厳しく制限された島になっています。地下壕はそのままにされており、殆ど人が入る事が出来ません。硫黄の為に硫化ガスが充満し、入る事が出来ないのです。


 未だ遺骨もそのままになっており、1万体以上の日本兵が、今もその当時のまま置き去りにされています。


ただただ、彼らに安息が訪れている事を願うだけです。