剣山

crayola2006-08-16

 ナカナカ、携帯でブログ更新は出来ませんね。
 今日帰ったので、パソコンでブログです。


 昨日は、徳島県の剣山に子供達と親と登りました。お盆の休暇に山登りするのは久しぶりです。

 剣山に登るのも久しぶりです。剣山は、スニーカーでも登ろうと思えば登れる山なので、物足りなく。頂上に到着したら、一の森というところを目指しました。頂上で昼食(おにぎり2個とかまんじゅうとか)を食べ、子供達もご機嫌でしたが、一の森までの過程が結構道が悪くて、子供達にはちょっときつかったかも、でも、一度だけ下の子が転んだだけで、(手をひいて歩いたら僕の方が転んでしまい、一緒に転んでしまった)危険という事も無く、無事に下山出来ました。
高山植物も楽しむ事が出来、一の森からの岐路にキレンゲショウマという花を見る事が出来ました。父が起こしたハプニングのおかげで、(というかせいで)別コースに行かざるを得なくなったので、沢山見たのです。黄色い可憐だけど、しっかりとした印象の花で、逆に沢山見れたのが良かったかなと今では思ってます。ただ、山道を700m走ったので、膝はすこしだけ痛めてしまいました。


 今度の、お盆休みは、収穫というか、色々と面白いかったり、思いで深い事が沢山あったので、楽しい5日間でした。


 本来なら、戦争の事考えたり、靖国神社の事を考えたりしても良かったのですが、そんな暇もなく遊んだと言った感じでしょうか。それに、親や、親類の話を聞くと、実は書物で読んだだけでは分らない問題が沢山潜んでいると言う事が、わかったので、理解不足のまま、語っても意味が無いと思われます。A級戦犯の問題などは、ほんの糸口にすぎず、議論が活発になったきっかけではありますが、許す許さないというレベルの問題で語られているような気がします。つまり感情と感情がぶつかる世界の出来事です。感情と感情のぶつかり合いだけでは、本質(イスラエルとアラブの問題と同じですね)が変る事は決してありません。また本質が変わる事があってはならないと考える人達も沢山出てきて(麻生みたいなヒト)よけいに収集が付かなくなる気がします。僕的には、じつはアジアへの外交なんて、したり顔で言いたくありません。問題の本質はそんなところにあるとは思っていないからです、内面的な、死者への救済と、儀式的な神道のあり方を真剣に考えてみないと、この問題はけっして解決しないでしょう。と思います。