高校の履修問題で、色々と騒がれています。ご存知の通り、僕の住む県の高校では、校長が自殺するという騒ぎになりました。痛ましい事です。痛ましいですが。

 生徒が自殺して責任を感じて、自殺する校長の話は聞いた事がありません。

それは、何を意味しているのでしょうか? 単純に自殺した生徒がいても、管理者の責任は実際的に問われませんが、履修科目が少ない事で問われる責任の方が大きいからです。いじめは隠せばすみますが、生徒に勉強させなかった事は隠せません。繰り返して言います。いじめは隠す事が出来ます。



そういう構造があれば、いくらでも。


いじめの構造は、簡単に作れます。


見つけるだけで良いからです。


みんなと違うなにかを


つまり、みんながいじめるのです。


だから、みんなで隠す事が出来ます。


死んだ子供は、みんなのちいさな心の手で、塞がれます。


塞がれて見えなくなります。見えないから忘れてしまいます。


忘れ去られた死者は、本当に死んでしまいます。


うざい、きもい、しねと いわれて死にました。


きれいにさっぱりとしにました。


しんだあとにはなにがのこる、なんにものこりはしないのです。


 さて、学校には不思議な制度がいっぱい有ります。
 子供の頃から疑問でした。

 校長室は、必要なものなのでしょうか?
 

 集まれば、子供の事など話もせず、飲み会の相談をするような、PTAの集会は?


 教育制度を変えるのは結構ですが、まず学校を変えようとは思わないのでしょうか?

 僕たちは、何も見えていません。もっと目を開かなければ。