映画「太陽」 人間裕仁

12月は忙しいですねなにかと。
ほとんど2週間ぶりのブログです。


 今日は、連続で日曜が、仕事だったので、代休でした。
なので、久しぶりに1人で映画を見に行きました。


映画「太陽」


 この映画を見るのは、とても迷いましたが、アレクサンドル・ソクーロフの映画をリアルタイムで見る事が出来るなんてそうある事ではありません。なので、見に行きました。


感想としては、息が詰まる。という事を感じる、とても特異な映画でした。


この映画は、天皇 裕仁が戦争末期と敗戦期に、自分で降伏する事を受け入れ。そして神格を捨て、人間宣言をするまでの、過程を書いた映画なのですが、歴史的説明は一切無く、防空壕のような要塞と、敗戦後の、西洋的な部屋の中で繰り広げられる、とても、狭い人間ドラマが、見る者を、心の中で天皇という、悲しいまでに存在としてのイコンを感じながら、人間化していく彼の人間としての存在という、見てはならないものを、重苦しくも受け止める作業が必要で、江藤淳がしつこく言っていた、日本人に染み付いた、天皇制を、否応なく思いしらされたような印象を受けました。


見終わったあと、松山の繁華街にあった、小さな映画館なのですが、誰とも会いたくなく、誰とも話したくなくなりました。


ある意味、恐ろしい映画です。ハリウッドの映画と極端な反対にあるような映画なので、見るという事に根源的な自覚を持たなければなりませんでした。でも、疲れるというよりは、タルコフスキーのような、ロシアフォマリスムの影響を残した、ロシア映画に特有な映画というアート、絵画的ですらありました。見た事を忘れる事が出来ない、映画でした。


イッセー尾形の演技は、素晴らしいというよりは、まるで、裕仁が乗り移ったようでした。裕仁が、「あっ、そう」と、年賀の著名人を集めた野外の会で、何時も言っていたあの特徴的な口癖や、口を半開きにして、何か言っているのか、言っていないのかわからない唇の動き、不器用な動き。天皇の真剣な物まねをしたのは、彼が始めてなのかもしれません。


裕仁は、海洋生物学者でした。その事は小学生の頃、大三島の海洋博物館で知ったので、良く知っていたのですが、毎日のように、生物の標本とふれあい興じていた事は知りませんでした。只、映画の中で東京の空襲のB21が魚で、焼夷弾も小さな魚という映像は、僕には笑えない映像でした。


 最後に、桃井かおりが皇后として出てきますが、その演技も、自然で、日本映画の良心を見せてもらったような気がしました。


生涯忘れる事が出来ない映画の一本になりました。


監督が、何を伝えたかったのか?それは、太陽という表題にあるのかもしれません。


映画『太陽』オフィシャルブック