ボンゾのドラムもファンク レッド・ゼッペリン フィジカル・グラフィティ

 昨日は、皆さんのおかげで少しだけ元気になったので、古本の仕入れの為にブックオフのはしごをしました、最近、せどりでアマゾンマーケット出品の方が増えているみたいで、こんな田舎でも携帯でサーチしまくっている人がいて、いままで完全な独壇場だったのに、残念。
 とは言うものの、その人の横で、めぼしい本を手当たり次第取りまくって、裏でサーチしたり、背後から、棚を凝視してプレッシャーを与え、「その場所を空けろ」光線出しまくりで、その場を離れさせたり、気の弱そうなサラリーマンなので全然平気なので、とりあえずガン付けたりなど。あらゆる方法を駆使しました。伊達に15年以上中古レコード屋通っていないんだぞ。こういう、姑息な手はいくらでも使えます。オイオイ。
 20才の頃それなりに練習した両手でレコードを「しゃしゃ」とめくる早さ攻撃でたいていの人は見たい棚から離れて行きます。あれは、そういう時に使うのです。今でも、東京に行っても使えるものな。ハハ(笑い)なので、昨日迄のメランコリックな感情はどこへやらです。良かったのか悪かったのか?おかげで、高く売れる本を10冊以上仕入れる事が出来ました。ある意味、不特定多数のライバルというのは必要かも?

 そんな事は関係なく、話を脱線させるのが大好きな体質の人間なのですが、ファンクについて書いていて、ドラムのことを考えていると、まさかと思われるでしょうが、ハードロックの王道レッド・ゼッペリンについて書きたくなりました。ボンゾのドラムがファンクかどうかは後の歴史が決める事にして、僕はボンゾのドラムはグルーブという点では、ブラックミュージックと比べても負けないとんでもないグルーブが流れているといつも思っています。
 グルーブとは山下達郎曰く「リズムに対する緊張感」と捉えるのが、一番合っていると思いますが、(他の解釈が沢山あるけれど)グルーブたっぷりな音楽は流れているグルーブの中にいるとリズムがどこ迄も細分化出来るという特徴をもっていると思います。それは、ジャズであったり、JBであったり、アフリカ音楽や、ガムランであっても、同じだと思います。なので、少し前、ドラムンベースを聴いた時に、特に新しい音楽に思えず、テクノロジーが発達したので出来た自然なグルーブの流れだなと納得出来ました。それと同じ様にある意味、どこ迄も細分化できる、パルスのような放射線をボンゾのドラムからいつも感じます。それはテクニックたっぷりの手数の多い部分で感じるのではなく、単純に思える「ズン・ズン・チャ」のようなドラムにより多く感じます。逆ドラムン・ベースみたいな、遅いリズムにグルーブがたっぷり含まれていると言う感じがします。うーん?というより、分子の中に原子があり、原子の中に中性子があり、中性子の中にというようなグルーブの無限性を感じるのです。
 でも、ブラックミュージックの好きな人には、このドカドカ感が好きになれないみたいで、ボンゾのドラムの素晴らしさはなかなかわかってもらえないのが残念ですが、僕はバーナード・バーディーなどの偉大なドラムス達と比べても全く遜色ないと思っています。昔、ジョン・ゾーンのネイキッド・シティのライブでボンゾに捧げた曲を演奏していましたが、「そうだよ。どんなジャンルから見てもボンゾは偉大なんだよ」とうなずきまくりでした。

 レコードプレイヤーが壊れているので、本当は「ファースト」や「プレゼンス」について書いた方がよかったのですが、このアルバム、本当に久しぶりに聴きました。ずっとこのCDの音圧の薄さに不満だったのですが、ステレオを替えてから久しいのですが、家のステレオで改めて聴くと、スゴく良いです。

昔は60sロックな2枚目の方が好きで1枚目はそれほど好きでは無かったのですが、 In My Time Of Dying の世界に引き込まれてしまいます。ZEPについて書くと、ドラムばっかりになりますが、やっぱしジョン・ボーナムはスゴいっす。

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